〇 三輪神社が、この地域に初めてつくられた時期は明らかではありません。
天智天皇の代(661~671)に、大和国(今の奈良県)大神神社の祭神三輪明神から滋賀県の日吉神社と
岐阜県山県郡(今の岐阜市三輪)三輪神社に分けてまつられたと伝えられています。
〇 三輪神社がまつられたのは現在の場所でなく淨音寺の北あたり(字を野箱という)でした。
永禄12年(1569)近松光保により三輪地域全体をうるおす「山県用水」の守り神として、取り入れ口に近い現在地にうつる。
[所説あり]
岐阜神社庁には以下の説明があります
〇 創立不詳美濃国神名帳に正二位美和大明神と見へる古社で、鎌倉時代に山県氏当社を井水鎮護の神とし、ついで室町時代鷲見氏・近松氏の諸豪族や暦世の岐阜城主の崇敬篤く江戸時代には美濃代官年々の祭礼に幣帛を献じ警護に任じた。昭和18年郷社より県社に昇格申請中終戦となる。
(2)三輪神社の指定文化財
〇 岐阜市指定重要文化財
石鳥居 江戸時代 昭和51年8月23日指定
社 殿 江戸時代 昭和43年4月17日指定
木造神像 江戸時代 昭和43年4月17日指定
〇 岐阜市指定天然記念物
大 杉 江戸時代 昭和51年12月27日指定
〇 岐阜市指定重要無形民俗文化財
稚児山の芸能 江戸時代 昭和57年2月16日指定
(3)三輪祭りと稚児山の芸能
〇 三輪祭りの始まりは、戦国時代の天正9年(1581年)と言われています。
江戸時代に入り山県用水の恵みを受ける14ケ村でとりしきっていた。当番2ケ村が
「大名行列」といわれる渡御が行われ、笠松代官所から役人がお供えを献上するほど盛大に開催されていました。
〇 稚児山の芸能の始まりは不明ですが、元禄9年(1696年)には演じられた記録があり300年以上続けられています。
現在は毎年4月の第1日曜日に独特の衣装で着飾った稚児・獅子・役者・大拍子と呼ばれる子供たちの渡御(行列)の後、「ヤマ」と呼ばれる舞台(拝殿西にある)の上で「鞨鼓の舞」「獅子舞」を奉納します。
また大祭前日(土曜日)の夜には赤ちょうちんを持った多くの住民ととも稚児・獅子・役者・大拍子が三輪神社まで渡御し舞を奉納する試楽祭(宵宮祭)が幻想的に演じられます。